冬至を経て、もう今年も残すところ、あと数時間。
ここは、”あと◯日”と書きたかったところだが、いつの間にやら24時間切っているようだ。
年を取ると時間の流れが早く感じるというが、子どもの頃の夏休み最終日のそれと、この年の瀬感。
リーディングやコンサルティングをしている時、大まかに2つの流れがある。それは、「大丈夫」か「大丈夫じゃないか」。
リーディングではまず、その人の今のエネルギー状態を見る。整体やマッサージと同じで、痛みや不調などの症状が出ているところを確認しつつ、
「SUI」は〝水〟。かつ、〝Spirits & Universe Institute〟の略でもある。水がとっても好きで、この水の惑星が好きだから。
わたしは美しいものが好きだ。
フランスの精神科医でもあり哲学者でもある、ジャック・ラカンは、「人間は他者の欲望を欲望する」と言った。つまりラカンによれば、例えば、人間は広告を見ればその商品を買ってしまうし、
この激動の時代、元気で健やかに何ならハッピーに生きていくために、強くタフであることは、老若男女問わず誰にとっても必要不可欠な資質だと思う。
最近よく「レジリエンス」(resilience)という言葉を見聞きするようになった。レジリエンスとは、回復力、復元力、弾力、しなやかさ、といった意味を持つ言葉で、
ある社会学者によれば、現代は「感情の劣化」の時代だという。
確かに時事のニュースを見ていても、ほとんどの場合、本質的なところではそこに繋がっているように思う。
Covid-19によるパンデミック、通称〝コロナ禍〟が始まって1年半ほどになる。そして今現在もなお、まだまだ治る気配はないようだ。
医者でも専門家でもないが、わたしの見立てでは、
〝すべてがうまい具合に流れるようにうまくいく〟
もし、そんな魔法があったら使いたいだろうか?
YESと答えた人に朗報です。
結論から言うと、そんな素敵な魔法は実際にある。しかも、それはいつでも誰でも使うことができる。
先日、久しぶりに母と電話で話をした。また捻挫してしまったらしい。また、というのも母は近年4回ほど捻挫をしている。左右交互に足首を。捻挫はどこの部位でも辛いが、足首は日常動作に大きく影響するから大変だ。
「自由」という文字は、自らに由ると書く。
その意味を辞書で調べてみると。
”自分の心のままに行動できる状態。思いどおりにふるまえて、束縛や障害がないこと。また、そのさま。思うまま。”
とある。
しばらく前に世界的ベストセラーになった、歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』によると、我々ホモ・サピエンスは進化の過程のある時点で
焦りや不安、寂しさを感じる時、わたしは睡眠不足のことが多い。
よくよく観察してみると、自分でも、子どもでも、老人でも、犬や猫やトカゲでも、体の不調や不具合は心の不調や不具合に直結しているということが多々あることに気づく。
熱海に続き、次は島根、広島の方でも大雨よる災害が大変なことになっている。今年から運用が開始された大雨速報の一発目は沖縄だった。最近よくニュースになっている「線状降水帯」による雨は、
先日、御年92歳というとても美しいマダムのインタビュー記事を読んだ。若さや元気の秘訣などの内容だったのだが、人に年齢を聞かれた時はこう答えるのよ、と言ったマダムの答えがオーサムだった。
出会い。それは人生において最も素晴らしいギフトの1つである。
恋愛に限らず、人生や仕事のパートナーであったり、友だち、メンター、仲間、あるいは夢中になれるモノやコトとの出会いなど、色々な出会いがある。
”Your/my heart is in the right place.”
という英語のフレーズがある。日本語に直訳すると「心が正しい場所にある」になるが、「心根がいい」とか「優しい」というニュアンスで使われることもある。
直感の使い方やエゴと直感の違いについて。
これはリーディングやコンサルティングの中でもよくある質問の1つ。自分が導き出した答えが、エゴによるものなのか直感によるものなのか
熱中症対策に抜かりはないだろうか?
季節の変わり目、特に湿度が高い梅雨の時期は身体には結構負担がかかっている。人間の成分はほとんど水分だというのに、意外と湿度には弱いのだ。
ところで、〝世界中の人々に
ますますカオスっぷりを増しているニッポンのコロナ状況。
ウイルスも生き残りをかけて、次々と新たな戦略を繰り出しては進化し続けている。重症化してしまうと本当に大変そうだ。
しかし、その無能さ、戦略のなさ、進化のなさにかけては、
忘却の彼方にそっと大事に置いておいたこのブログ。
文字通り、思い出したように再び書いているわけだが、ついでに、これまで書いたものも誤字脱字などを確認しがてら読み返してみた。ついでに文体もちょっと変えてみた。
前回の投稿からほんの1週間くらいしか経っていないような気もするし、もうあれは前世の記憶だったのかなくらい時が経っているような気もする。このように人の感覚とは随分いい加減なもので、かつ時間は伸び縮みするとアルバートも言っている。