この激動の時代、元気で健やかに何ならハッピーに生きていくために、強くタフであることは、老若男女問わず誰にとっても必要不可欠な資質だと思う。
「強さ」とは何だろう?強さにも色々ある。例えば、鉄とガラス、水と石では強さの性質が違う。一口に「強さ」と言っても同じ様には測れない。では、人間の強さは一体どこで測れるのか?
わたしの感覚では、たぶんそれは、「しなやかさ」にポイントがあると思う。
前回のポスト「レジリエンス」についても書いた通り、しなやかであることは根源的な生きる力に繋がっている。それ以外にも、思考や感情の柔軟性、発想力や創造力、やさしさや強さといった、人としてのクオリティにも「しなやかさ」は必ず関係している。
実際往々にして、魅力的な人というのは、心身ともに「しなやか度」が高い。その最もたる者はやはり子どもで、一般的には若ければ若いほど、「しなやか度」は高いと言える。人に限らずあらゆる生き物は、通常年を取れば取るほどしなやかさを失い、硬くなっていく。それがナチュラルなのだが、だからこそ、若さと幸せはセットで、人類が求める永遠のテーマでもある。
年を取らない生物は地球上に存在しないが、例えば、年齢が若くてもメンタルもフィジカルも老人のようにカチコチに固まって、覇気がなく潤いを失っている人も時々見かけるし、逆に老齢の域に入っているにも関わらず、のびのびと生き生きと「しなやかさ」を増す人もいる。
そう考えると、「しなやかさ」とは身体的のことだけに限らず、思考や心、魂に大きく関係しているのだと思う。
一緒に海に出ると、だいたいその人の「強さ」が感覚的にわかる。
「しなやかさ」を軸にして、性格や人となり、キャパシティや人間力など、その人の全体的な〝状態〟が見えてくる。
自然の中では、ちょうど写真のポジとネガ、光と影のように、その人の「自然と非自然」が浮き彫りになる。それはきっと、自然には人間のような「硬さ」がないから。
例えば、何かしらのスポーツやヨガをやっているという人の中にも、海に出ると生まれたての子鹿のような、ぎこちない動きをする人もいる。逆に、超インドア派で運動は苦手、というような人が、水を得た魚のようにスムーズに元気に動けることもある。
これは身体的なバランス感覚や筋力というよりも、やはり「しなやか度」に関係があると思う。全体を捉える能力と、相手(自然)に波長を合わせることができる柔軟性。何より「空っぽ」になれるということ。「空っぽ」とは、今目の前にある景色をノンフィルターでそのまま見ることができるということ。
しなやか度が高い人は、すでにそこに流れるエネルギーを止めることなく、自分の中に取り入れることができる。翻って、強さやしなやかさが足りない人は、どこか硬く閉じている分、エネルギーを堰き止めてしまう。
自分の「軸」とか「芯」というのは、エネルギーの通り道のようなもので、それは自分に正直であればあるほど太く大きく育つ。そして、「しなやかさ」は感じること、ひらいて受け取ることで増していく。つまり、「自然体」であればあるほど、パワフルにエネルギッシュになっていく。
芯が通ってるけど、しなやか。
芯が通っているからこそ、しなやか。
運動神経や体力、筋肉の量などではなく、心のあり様。
強くタフであるとは、きっとそういうことだと思う。
自然体。自分の中の自然を育てる。
それにはやっぱり、自然に触れることが1番の近道。
そんなことを思いながら、たまには、海へ森へ出かけてみるのもいいかもしれない。
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