フリーダムレッスン



「自由」という文字は、自らに由ると書く。
その意味を辞書で調べてみると。

”自分の心のままに行動できる状態。思いどおりにふるまえて、束縛や障害がないこと。また、そのさま。思うまま。”

とある。

ちなみに、わたしの人生のトッププライオリティは常に「自由」である。しかし、これは自ら好んで選択したというより、逆に言えば、自由ではない状態にほぼ耐性がないため、自由を死守するしか生きる選択肢がなかったという方が正しい。

わたしにとって自由であることは文字通り死活問題なのだ。だから、そのための努力は惜しまない。いついかなる時も、いかに自由であれるかということに人生をかけている。

物質的なこと、精神的なこと、自由にも色々あって、とりあえずはまだ肉体に収まっている身として、わたしもまだまだ道半ば。時間やお金、それこそ身体的な制限だったり、思い込みや感情に囚われたりと、日々〝不自由〟を感じるシーンに直面する。でも、その度に一つ一つ制限を外し、より自由を感じる方を選択している。

自由であることは最高に楽しい。自分の心のままに、最も自然な状態であれば、なんの変哲もない日常も瞬間も、有り難く尊いものに思える。自由であることと、生きている実感、喜びは、全く同じところにあるとわたしは思っている。

一方で、自由に背を向けたくなる気持ちもわからないでもない。人間の最大の恐怖は自由であると、多くの芸術家や賢人たちの言う通り、自由であることは、同時に孤独や無力感を受け入れることでもある。

自由であることの何が大変かというと、やはり1つ目に、「全てを自分で決める」ということだろう。当然、それをこそ望んでいるのだが、人生は選択の連続である。その1つ1つを実際に、全て自分で決めるとなると、かなりのエネルギーと判断力が必要になってくる。しかも、その選択、決断は全て自分の責任である。何がどうなろうと誰のせいでもない。言い逃れは通用しない。

2つ目は、「バランス感覚の重要性」がある。
自由と責任はセットであるということはよく言われている通り、〝自分の心のままに行動できる状態〟を実現するためには、自分の心身の状態以外にも、そうできる「環境」がなくてはならない。環境とはつまり、衣食住などの基本的なライフラインから、仕事や家庭、隣人や友人など、自分と関わる人々との関係などを含めたトータルの環境のことである。この環境を快適に維持するためには、かなりのバランス感覚が必要となる。

そして3つ目。「自由に背を向ける人たちのノイズ」。
これはハッキリと「ノイズ」ではあるのだが、これがまた結構手強い。自由を諦め、自由に背を向けた人にとっては、自由を選択した人は脅威なのだ。攻撃するつもりはなくても、何かと否定的なことを言ってきたり、なんとか〝正そう〟としてきたりもする。あるいは、「ルールですから」とコミュニケーションそのものを遮断される場合もある。このノイズやシャットアウトのダメージを回避しつつ、いかに軽やかに飛び続けるかは、己の体力、気力、忍耐力にかかってくる。

このように、自由の道はなかなかにタフなのだ。ダイハードの世界だ。ブルース・ウィルスじゃなくても、まずは「断る」そして、「逃げる」という選択に出るだろう。

しかしもう、逃げられない時代がやって来た。
これからは、ノールール、自由の時代。
システムから個へ、ルール指向からアウトカム指向へ、他人軸から自分軸へ。まさに、誰もが「自らに由る時代」になる。

ハピネスが目的だった時代から、ハピネスが原資となる時代へ。
今はまさにその過渡期、大変動の時。そして、これからますますその変化は加速していく。まるで、メリーゴーラウンドからジェットコースターに乗り換えるかのように。

この大変化を楽しむコツは、まずは〝乗り物〟が変わったことに気づくこと。自覚すること。同じ遊園地にいるようで、乗っている乗り物は全く違うということ。そして、日々の1つ1つの選択を「不自由」から「自由」へと選び直していくこと。

これは正直、全然イージーではない。繰り返すけど、「DIE HARD」。だけどやっぱり、自由であることは最高に楽しい。これぞまさに「LIVE HARD」。

なんと言っても、みんながそれぞれのハピネスとフリーダムを追求するのだから。そういう意味で、すごくいい時代になったなと思う。

何事も日々の練習。筋トレみたいに少しずつ、一歩ずつ。
トライ&エラーで、フリーダムレッスン楽しんでいこう。

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