最近よく「レジリエンス」(resilience)という言葉を見聞きするようになった。レジリエンスとは、回復力、復元力、弾力、しなやかさ、といった意味を持つ言葉で、「環境や状況に適応する力」として、心理学やヘルスケア、経営学など、様々な分野で使われている。
逆境や困難に直面した時にそこから「立ち直る力」という意味で、元々はホロコーストで生まれた孤児への追跡調査で生まれた概念らしい。
レジリエンスは、そもそも人が生きる上で必要不可欠な能力で、本来誰にでも備わっているもの。しかし、世界全体がこれまでになかったような大きな変化を経験している今、このレジリエンスをより高めることがとても重要になっている。
日本語の「七転八起」「七転び八起き」。北の島国フィンランドには「SISU(シス)」という言葉もあるように、レジリエンスについては地球の古今東西、色々な言葉、色々な形で表現され、語り継がれている。その中でもわたしのお気に入りは、沖縄うちなーぐちの最強マジックワード、「なんくるないさーねー」。
「なんくるない」は大丈夫という意味で、沖縄では日常的に様々なシーンで使われている。
この小さな南の島は、台風の通り道とも呼ばれ、昔からたくさんの自然災害があった。美しい海に囲まれながら、その美しさとは対照的に、自然災害や塩害や資源の乏しさなど、人が生きていくのには過酷な環境でもあった。その上、侵略や戦争など、歴史的にも数々の困難を経験してきている。
その中で培われ、育まれてきた〝なんくるないスピリット〟は、まさに沖縄という島に通底する「生きる力」を体現していると思う。
わたしも沖縄の海のそばで暮らしている中で、ものすごい巨大台風の直撃を何度か経験した。普段はありえないような高さまで迫り来る波。家ごと吹き飛ばしてしまいそうな暴風雨。海鳴りの音と振動が凄過ぎて、一晩中眠れなかったこともある。
何年もかけて大切に育ててきた庭の植物たちはほぼ全滅し、その木陰で休めるほどに大きく育っていた木さえも、根元からなぎ倒された。暴風で吹き上がる砂で家の壁が削られ、どこもかしこも砂まみれ。冠水し、屋根が吹き飛び、コンクリートの塀が崩れ落ちている家もあった。
茫然自失とはこのことで、その台風が過ぎ去った後の様子は今でもはっきりと覚えている。道路の真ん中に、数トンのコンテナが逆さまに転がっているのを見たときは、ちょっと笑った。自然の力の前では、人間は圧倒的に無力だと知った。
でも。何より印象的だったのは、それこそ島んちゅの〝なんくるないスピリット〟だった。
台風が過ぎ去った瞬間、まだ停電も断水も続いている中で、人々は三々五々シャベルを手に砂をかき出し、そこら中に散乱しているものを拾い集め、即効で〝後始末〟に取りかかり始めた。当たり前のように、ごく自然な感じで。
後始末には結局数日はかかったが、あれよあれよという間に、集落全体が元通りの姿になっていった。その中には当然、失われてしまったものもある。それでも、残ったものは洗われてピカピカになり、また見慣れたいつもの風景、日常が戻ってきた。
きっと、レジリエンスってこういうことなんだと思う。何があっても大丈夫という態度。受けとめるより、受け入れる。
ありえないものも、受け入れ難いものも、「ある」とする心の持ち方。これが「なんくるない」の底力。
簡単ではないけれど、大丈夫。
大変だけど、大丈夫。
色々あるけど、大丈夫。
本来誰もが持っている、生きる力。
思い出しつつ、モリモリ育てていきましょうね〜
なんくるないよ〜♪
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