純度を上げる



フランスの精神科医でもあり哲学者でもある、ジャック・ラカンは、「人間は他者の欲望を欲望する」と言った。つまりラカンによれば、例えば、人間は広告を見ればその商品を買ってしまうし、子は親が望んだことをやってしまうし、友人や近所の人や誰かしらの、「他者の望みを自分の望みとする」性質があるらしい。

これもハラリの言うところの、ハックされやすいホモサピエンスの性質と通じるものがある。「多様性」がやたら謳われている昨今だが、一方でSNSやYoutubeなどでは、まさにラカンの説を裏付けるように〝他者のニーズに応える〟という傾向が加速しているように見える。

誰もが他の誰かが言っていることを言い、誰かが望んだことを実行し、誰かが持っているものを欲しがっている。

もちろん、ビジネスの原則は「需要と供給」ではある。けれど、すべての欲望や欲求がビジネスで完結してしまうことは、それこそ豊かさとは逆の、窮屈で無機質な「コスパ社会」街道まっしぐらのような気もする。心ではなく、コスパ。効率。損得。

ありとあらゆる情報が溢れる日々の中で、その情報のほとんどが、自分以外の〝他者のニーズ〟だとしたら。そして、それにいちいち反応していたら、自分自身、自分の心が迷子にならないことの方が難しい。

例えばもし。「カレーが食べたい」と思っていても、「春雨、春雨、春雨、春雨、春雨サラダ!今のトレンドは春雨で、春雨こそが正義!」とBGMか念仏のように聞いていたとしたら、春雨の歌は潜在意識に刷り込まれてしまう。春雨広告の大勝利。

そうなったらもう、意志の力ではどうにもならない。カレーは春雨に取って代わり、カレーを欲していた自分は何処へやら。いつの間にか、春雨を欲するようになっている。これを魂の迷子と呼ばずに何と呼ぼう。

そんな〝誰かのニーズ〟が入り乱れ、飽和状態の今だからこそ、「本来1人ひとりが個性的で、唯一無二の存在である」という基本原則を思い出す必要がある。その上で、「自分の望み」を知ること。

人は自分の望みと他者の望みを「同期化」してしまう性質を持っている。だからこそ、まずはその「同期化」を一旦外す。解除する。

外す方法はいろいろあるけれど、その中でも「瞑想」はおすすめの方法の1つ。「瞑想」は言ってみれば、初期化するためにスイッチをOFFにすること。要は〝呼吸以外は何もしない〟をする時間。

そもそも。「他の誰でもなく、わたしはわたしである」という1番シンプルなところに立ち返った時、必要なのは何かを得ることではなく、自分ではないものを1つ1つ捨てること。精神力を鍛えるとか高めるとか、雑念を振り払うとか、その〝がんばり〟すらも不要なものだ。

とっ散らかった部屋をスッキリと片付けるように、開きまくったスマホやPCのブラウザを全閉じするように。再起動するために、今ここにいる自分以外のものを一旦OFFにする。

実はこれが、自分の「純度」を上げる最高の方法。
物理的に可能であれば、旅や引越しもリセットするにはとてもいい。ただ、それはやはり日常サイクルでやるのは難しいので、やはりいつでもどこでもできる、瞑想はとってもおすすめ。

沖縄うちなーぐちに「とぅるばる」という言葉がある。ぼーっとするという意味で、これも「なんくるない」に匹敵する最強マジックワード。なんくるないでとぅるばってたら、たぶんもう最強だと思う。

瞑想は魂の風呂のようなもの。
毎日風呂に入るように、歯を磨くように。
ほんの3分でもいいから、1日1回はとぅるばって、ピッカピカに自分の純度を上げる時間があるといいと思う。

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