自分を知ること



しばらく前に世界的ベストセラーになった、歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』によると、我々ホモ・サピエンスは進化の過程のある時点で脳に変化が起こり、「想像力」を得たことにより「虚構」を信じ共有できるようになった、ということらしい。

そして、その認知能力こそがサバイバルにおける最大の武器であり、現代につながる進化、発展を遂げた所以であると。これはつまり、人間の歴史は虚構、すなわち「嘘」から始まった、ということですね。あらまあ。

さらに、もはや昨今使われていない食品を見つけることの方が難しいほどおなじみの小麦などの穀物類。これは狩猟採集社会から農耕社会へと移行した人類の進化による戦利品と考えられてきたが、実は全く逆で、小麦という植物種が種の保存本能によって人間を家畜化した、と著者は言っている。なんてこったい。

嘘を信じ、嘘の世界を作り上げ、あげく小麦にハックされる我々ホモ・サピエンス。なかなか衝撃的である。しかし、あながち突飛な話でもないなと思う。むしろわたしとしても、昨今の世界のカオスっぷりを見るだに、ああ、だからか、という清々しい納得感さえ覚えるほどである。

『風と光と二十の私と』ではなく、「金」と「小麦」と「インターネット」の現代というこの世界。

実際にほとんどこの3つで人間の世界は説明ができてしまうほど、ある意味で世界はフラットになり、人間はハックされてしまっているようだ。この視点から見ると、近年いたるところで使われる「多様性」という言葉が、どうも上滑っている感じがするのも頷ける。

ハック(huck)とはつまり「乗っ取り」を意味する言葉だが、人間はどうやらこんなにも乗っ取られやすい生き物らしい。最近ではこの3つに「covid-19」が加わった。

他の生物、例えばうちの猫師匠などを見ていてると、今も昔も雨の日も晴れの日も、特に何かにハックされている様子はない。わたしの膝やハートや作業机などを乗っ取ることはあっても、何かに乗っ取られることはない。常に主体は自分である。『吾輩は猫である』風情である。

ごはんやマタタビ棒など局所的にロックオンされることはあっても、食べて満足したら終わり。ロックオフ。あとは再びお腹が空くまで、毛づくろいや昼寝や庭に飛んでくる鳥の観察などに勤しんでいらっしゃる。自由だ。

我を忘れて自分を見失うほど何かに依存し、主導権を明け渡してしまう。一度ロックオンしてしまうと、ロックオフのスイッチがうまく機能しないのが、我々ホモ・サピエンスなのかもしれない。

ロックはつまり、「欲望」と言い換えてもいいと思う。生物にとってデフォルトの本能だ。だから問題があるとしたら、この「欲望」をうまくコントロールできないことだろう。自らの欲望によって結局は主体性を失くし、他の何かにハックされるとは実に悲劇、あるいは喜劇である。

「足るを知る者は富む」と老子も言っているように、ハッピーなライフの肝は、「欲望」にあるのかもしれない。

とはいえ。わたしとしては欲望は全く否定しない。なぜなら欲望は元気の源だ!生きる力だ!そこにはピュアジョイがあるのだ!と思うし、そもそも生物のデフォルト的本能だし。だから、人の自由を奪わない限り、あらゆる欲望は肯定してなんぼと思う。そして、足るを知ることと欲望を肯定することは両立するとも思う。

それにはやはり、「自分を知ること」。これに尽きる。

自分は何を好むか?
自分は何を望むか?
自分は何を選ぶか?

虚構ではない何か。自分にとっての本当を知る。ということ。
自分を知ることは、自分を大切にするということ。そしてそれは、人間を世界を、ひいては地球を知ることにつながっている。

せっかく他の誰でもない自分として生まれたのだから、誰かに何かに明け渡すことなく、この広い世界で自由に自分のライフをエンジョイしていきたい。できれば、ハッピーに。

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