熱海に続き、次は島根、広島の方でも大雨よる災害が大変なことになっている。今年から運用が開始された大雨速報の一発目は沖縄だった。最近よくニュースになっている「線状降水帯」による雨は、本当に雨量が半端ない。夏の南国ではよくある滝のように降る集中豪雨が、何時間にも渡って振り続ける。
できることはといえば、自分が住んでいる場所の地形や災害の歴史、避難経路などを把握しつつ、できる限りの対策をすること。あとはとにかく、被害ができるだけ少ないことを祈るしかない。今後ますます自然災害は頻発すると思う。気候変動は加速する一方で、これだけ山を削り海や護岸を埋め立て続ければ、環境の様々なバランスに影響が起きても全く不思議はない。
それに、そもそも人間の都合などとは関係なく、地球には地球自体のリズムやサイクルがある。変化の大きい今だからこそ、そういった「そもそも」のところも含め、今一度自然と人間のバランスを見直していくことが必要不可欠だと思う。
アンデシュ・ハンセンというスウェーデンの精神科医が書いた著書、『スマホ脳』を先日読んだ。何か別のタイトルがなかったのかというツッコミはありつつも、本の内容はとても興味深かった。
著書によると、およそ600万年と言われる人類の歴史の中で、我々の祖先はずっと狩猟採集生活をしてきた。その時間を割合でいうと、99.9%。一方で、この大規模定住の農耕社会、つまり家があって仕事があってご飯を食べて、というような現代の暮らしは、長い人類史上において、なんとたったの0.01%の時間でしかないらしい。
この事実を鑑みれば、何事もなく、ただただ日々のルーティンをこなしていくというような現代の「普通の生活」(と信じて疑わないもの)の方が逆に驚異的なのだと言える。
著者が指摘している通り、現代社会のカオスっぷりや生きづらさは、どうもこの辺りにもヒントがあるようだ。今こそ我々人類は、狩猟採集民のDNAを発動させる時なのかもしれない。
コロナ禍然り、災害地などの映像をニュースで見ると、時々「なぜその状況でその場所に?」「それは今必要?」という光景を見かけることがある。どうも危機に対する優先順位が頓珍漢なことになっているようだ。本来、それらは動物の本能的なものであるはずだが、おそらく危険を察知する能力が眠ってしまっていて、目の前で刻々と変わる状況に対応できていないのではないかと思う。社会全体もそう。どこか眠ってる感がある。
600万年と1/600万年。狩猟採集民と農耕民ではそのキャリアも乗り越えてきた危機の場数も圧倒的に違う。
わたしには何人かハンターの友人がいる。ハンターの危機管理能力の凄さといったらもう尊敬しかない。そして、危機管理能力に限らず、自然に対する姿勢や自然との繋がりという意味でも、やはりハンターは最も自然に近い感じがする。
とはいえ、今日から皆ハンターです。というのも、かなりウォーキングデッドな究極の世界だと思う。そうではなく。たとえ狩猟採集生活に戻らなくても、日々の生活の中で初心に戻ることはできると思う。人間もアニマル。そして自然の一部だということを思い出しつつ、より自然に触れたり、自然の中で過ごす機会を持つことは、特にこれからの時代、生きていく上で誰にとっても役に立つと思う。
現代人にも受け継がれている、狩猟採集民のDNA。脳の作りもここ1、2万年くらいほとんど変わっていないらしい。ということは、わたしたちは皆、本当はナチュラルボーンハンターなのだ。
ところで、ここまで書いてふと思い出した。映画『ノマドランド』はぜひ観て欲しい。監督のクロエ・ジャオは、非白人、アジア人として初のアカデミー賞とゴールデングローブ賞を取り、マクドーマンドは役者という枠をまた1つ次元上昇させている。すごい映画だった。
時代は変わる。でも人も自然も、そんなに変わらないのかもしれない。
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