自分で決める



先日、御年92歳というとても美しいマダムのインタビュー記事を読んだ。若さや元気の秘訣などの内容だったのだが、人に年齢を聞かれた時はこう答えるのよ、と言ったマダムの答えがオーサムだった。

「気持ちはいつでも22歳よ」

写真の笑顔もその答えもとても素敵だったので、今後はぜひとも、わたしもそれを採用させていただこうと思う。

このマダムのように、上手に年を重ねている素敵なパイセン方がいる。思うに、そんなパイセン方に共通しているのは、「年齢に依存していない」ということ。年齢を理由や言い訳にせず、自分のことは自分で決める、というアティチュード。きっと、若い時からそういう生き方をしていたのだろうなと思う。

名実ともに22歳の時も、わたしは年齢を聞かれるのが好きではなかった。子どもの頃は早く大人になりたかった。年齢に限らず、例えば、名前、生年月日、性別、血液型、国籍や続柄、障害の有無など、何かしら書類に書くような事柄全般に対していつも違和感があった。いつでも何かがズレているような気がしていた。それはどうやら、自分の事なのに自分で決めた事ではないからだということが最近になってようやくわかった。

自分の事なのに自分では決めていない事柄によって、自分という人間をラベリングされる事への違和感。まずラベルがあって、有無を言わさず自動的にその中でカテゴライズされることの理不尽さ。しかし、それらの情報はわたしという人間のごく一部であり傾向であるかもしれないが、本質ではない。

ほんのここ数年で、そのことに気づき始めた人が爆発的に増えた感じがする。その多くは既存のカテゴリーに当てはまらない「はみ出し者」たちだ。
結局、なぜカテゴライズする必要があるのかというと、それは人が生きていくために、社会システムを維持するため。その意味では当然、ルールも規則もカテゴリーも必要だと思う。しかし今、そのルールやラベル自体を根本から問い直す動きが加速度的に広まっている。

BLM然り、Metoo然り、LGBTQ+然り、障害者然り。
別にこれらマイノリティイシューというのは、今に始まったことではない。社会がシステム化して以来ずっとあったことだが、それがこれだけ世界的に取り沙汰されるようになったのは、本当にここ数年、最近のこと。時代が変わったなと思う。いい時代になったなあ。

何人だから、女性だから、男性だから、ゲイだから、障害者だから、若者だから、高齢者だから、未婚だから、既婚だから、シングルマザーだから、シングルファザーだから。だから何?SO WHAT?な時代。 ラベルではなく「本質」を見ること、そして、ラベルを自前で作ることができるということに多くの人が気づき始めている。

同時に、世界はますます混乱を増しているのも事実だ。
時代の変化が速すぎて、1つ1つの事柄をじっくり考えたり議論したりする時間がない。情報は秒刻みで更新され、流れるように価値観は変化していく。まるで突然、宇宙空間に投げ出されたようなグラビティの変化。そりゃあ混乱もするよね。

そんなケオティックな世界の中で、自分を見失わず、自分のアイデンティティを確立し、できれば楽しく生きていくにはどうすればよいか?

それはやっぱり、あの素敵なマダムのように「自分で決める」ことだと思う。社会やシステムや他人が決めた何かを軸に生きるのではなく、自分で選び、自分で決めたことを軸にして生きるということ。

そんな風に生きていく人が増えれば増えるほど、世界はより多様に、より豊かになっていくと思う。世界は簡単には変わらないけど、どう生きるか、何を望むか、気持ちの持ちようはいつだって自分で決めることができる。

そして、どうせ死ぬまで生きるのなら、死ぬまでライフをエンジョイしていきたい。

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