心の正しい場所



”Your/my heart is in the right place.”

という英語のフレーズがある。日本語に直訳すると「心が正しい場所にある」になるが、「心根がいい」とか「優しい」というニュアンスで使われることもある。

心の場所。正しい場所とはどこだろう? 
それは心が知っている。心の正しい位置を決めるのは、頭でもなく身体でもなく、やはり自分の心だろう。

ところで昨今、あらゆるシーンでこの「心」というものがどうもなおざりになっている感がある。例えば、スペックやコストパフォーマンという言葉は本来何らかの〝製品〟に使われる言葉であったが、最近は製品に限らず、人や人間関係などにも使われるようになった。

また、2時間の映画を10分の動画で解説する「ファスト映画」なるものが流行っていたり(こないだ動画の作者が逮捕されてたけど)、映画やドラマを倍速などの早送りで観る人も少なくないらしい。

コロナ対策にしても、いつまで経っても「経済か感染対策か」ということのみで、そこにはメンタルヘルスや心の問題などについては、今のところ全くと言っていいほど議論も対策もされていない。

要は現代の価値基準は、あらゆる方面で「心」は無視されており、「いかにコスパよく情報を処理し、システムを回していくか」ということに重きがおかれているようだ。これはもはや、機械が人工知能を有するのではなく、人間が機械化していくという逆バージョン。つまり、人間の製品化、人間のAI化が起きている。

わたしはそもそも、日々の生活は3日で1日くらいの時間感覚で生きている。ほとんどの物事はだいたいその時の気分で決めるし、素晴らしい映画を観ると終わってしまうのが惜しくて、その世界にできるだけ長い時間留まっているために、一時停止をしたり巻き戻してみたりもする。
往生際やコスパの悪さであれば、優勝を狙えるかもしれない。

とにかく速い。何もかもが速すぎる。
ただ、世界がものすごく生きづらくなっているわりには、おかげさまでわたしはすこぶる元気である。態度はヘラヘラしているし、肉体は生まれてこの方順調に死に向かっているが、メンタルは特にヘラってはいない。

たとえコスパが悪くても、時代の流れから遠く離れてしまっても。自分の心が正しい位置にありさえすれば、案外なんとかなるのだと思う。
何と言っても、好きも嫌いも、喜びも楽しみも、苦しみも痛みも、憂鬱も退屈も、心は色んな景色を見せてくれる。

そう考えると、心こそ「コスパ最高!」なんじゃないかとも思う。

ちなみに、わたしの携帯は未だにガラパゴスタイプだし、メモを取る時はいつでも紙とペンを使っているが、そんなわたしもテクノロジーの進化には大いに興味も期待も持っている。むしろ、世界のAI化を心待ちにしていると言っていい。

「生きること?そんなことは召使いどもに任せておけばいい」
ヴィリエ・ド・リラダンの『アクセル』の主人公が放つあの有名なセリフを、超高性能なAIたちに囲まれながら、ぜひわたしも放ってみたい。

そして、面倒な雑事は全てAIに任せて、心ゆくまでゆっくりと、好きな本や映画を堪能したいと思う。

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