スーパーエゴイスト


 
直感の使い方やエゴと直感の違いについて。
これはリーディングやコンサルティングの中でもよくある質問の1つ。自分が導き出した答えが、エゴによるものなのか直感によるものなのかわからない時があると。そして往々にして、エゴはバツ、直感はマルという前提がある人は少なくない。

エゴと直感は確かに違う。しかし、まず言っておきたいのは、エゴと直感は単に右か左か、正解か不正解かというものではないということ。エゴそれ自体は決して間違いでも悪いものでもない。だから、どちらかを選択するというより、まずエゴがあって、その先に直感がある、というのが正確な表現だと思う。 
 
エゴ(ego)とは「自我」、すなわち自分自身のこと。 
つまり、エゴは自分と自分以外のものを区別する意識のことであり、自分の五感に則したフィジカルで直接的な欲求、混じりっけなし100%ピュアな自分の正直な気持ち、感覚のことを指す。
 
エゴは誰にでもある、というよりむしろ、エゴが無ければすでに違うディメンションに行っているはずである。肉体を持ち、意識を持ち、名前を持ち、この地球上に未だ存在しているのであれば、例外なく誰もがエゴイストだ。 
嘘偽りのない正直な自分の本音、欲求、欲望がエゴの正体。だから、我々人類にとって、自分のエゴを認めることも、エゴイスティックな欲求を持つことも、至ってナチュラルな生命の営みである。 

  一方、直感というのは、インスピレーション、第六感(six sense)、霊感など、様々な呼び方で呼ばれているが、要は視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感以外の感知能力のこと。理屈では説明しがたいもの、理屈を超えた物事の本質を捉える能力のことだ。
 
そもそもこの世界には理屈では説明できないことなどいくらでもある。
「虫の知らせ」や「動物の勘」といった古の言葉もあるように、人間の理屈とは関係のないところで生きている虫や動物たちは、それこそ聴覚や嗅覚は〝超人的〟であり、日常的に人間には見えないものや聞こえないものも、見えたり聞こえたりしている。らしい。
とにかくこの世界において、人間の五感では感知できないものが確かに存在するということ。

  動物に限らず人間にだって、直感や第六感は本来誰もが備えている能力だとわたしは思っている。視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚のように、それぞれ持って生まれた感覚や感知能力に程度の差こそあれ、訓練次第で感覚は育てることもできる。逆に使わなければ退化することだってある。

つまるところ、五感を使うか六感を使うかが、エゴと直感の基本的な違いだと思う。では、直感を起動させるにはどうすればいいかというと。 

  それは「自分に100%正直である」こと。 
 
たとえ正直さ99%であっても直観力は働かない。むしろ〝99%の正直〟などというものは存在しない。これに限っては、YESかNOか、白か黒か、嘘か誠かでしかないのだ。 
 
エゴか直感かで迷う時は、ほとんどの場合ここが中途半端になっている。つまり、「正直度100%未満の状態」であるということ。それは例えば、骨折してる時に、あるいは頭から血を流している時に、笑顔で「痛くない」と言っているようなもの。そんなホラーかつ、アンナチュラルな状態で、直感や閃きなどはやってこない。きっと、来ない。
   
よく、インスピレーションを得るにはリラックスすること、と言うけれど、おそらくそれはとても正しい。なぜなら、リラックスとは五感が心地よく満たされている状態のことだから。 
 
だから順番としてはまず、エゴの声をしっかりとキャッチすること。 
階段を1段1段上って行くように、エゴの声、五感の声を1つ1つキャッチしていく。そうしていった先に直感がやって来る。きっと、来る。 
 
神社の参拝をイメージするとわかりやすい。 
鳥居をくぐって手水舎を経て、参道を一歩一歩進んで、そして本殿へと辿り着く。場所によっては長い階段があるところも多い。
1つ1つに意味があり、全て必要なプロセス。神様がいる場所、昔からある場所というのは、さすが理に適っているなと思う。 
 
というわけで、直感を使うには、まずは自分のエゴチェックをすること。とことん正直に、誤魔化さず、自分の本音と向き合うこと。
99%の正直者、つまり中途半端なエゴイストではなく、そこを突き抜けた「スーパーエゴイスト」のその先に、直感(本殿)はあるのだ。

0 Comments