ポジティブシンキング



熱中症対策に抜かりはないだろうか?
季節の変わり目、特に湿度が高い梅雨の時期は身体には結構負担がかかっている。人間の成分はほとんど水分だというのに、意外と湿度には弱いのだ。

ところで、〝世界中の人々に勇気と希望を与える平和の祭典〟が、実は政治とカネと利権、つまり「ごく一部の人のためのカネとカネとカネ祭り」だったという、ちっともフェアでもピースフルでもない事実が今回きれいに暴露されたわけだが、やはりdesaster(災害)というものは色々なものが明るみに出るという意味で、自然界のみならず人間界であっても新陳代謝を促す「浄化作用」のような役割があると思う。少なくとも、あるのにないことになっている、という状況よりもいくぶん健康的である。

このように、どんな物事にもポジティブな面とネガティブな面の両面がある、というのはただの事実だ。いわゆる「ポジティブシンキング」というやつではない。

ポジティブシンキングとは「とにかくなにがなんでも物事のポジティブな面を採用する」ということであり、本来ポジティブもネガティブも両方ある物事をあえて片面のみで捉えるという、つまりは、非常に限定的かつ、偏ったものの見方、考え方のことである。

例題としてよくあるのが、〝コップに半分だけ入った水をどう捉えるか問題〟があるが、これについてはすでに設問自体に無理があると思う。なぜなら、「半分しかない」と捉えるか、「半分もある」と捉えるかという問いについては「その時の状況や状態次第」としか答えようがない。

砂漠で遭難している時に、などという極端な設定でなくとも、例えば風呂に入ろうと思っている人に対してこの質問をすればどうだろう。

このように問いにはまず設定や条件、つまり前提が必要であり、ポジティブかネガティブかという以前に、物事の捉え方はその時の状況や状態次第で導き出される答えは変わってくるのである。ここを抜きにしてポジティブシンキングを採用すると、たとえ全く大丈夫ではない危険な状況を前にしても「もちろん大丈夫!」ということになってしまい、結果として、にっちもさっちもどっちも行けない状況に陥る可能性も否めない。

そう。ポジティブシンキングというのは、取り扱いを間違えると大変危険な代物なのだ。

おそらく本当の意味でのポジティブな思考とは、コップに半分だけ入ってる水を前にして、もし〝足りない〟と感じたのであれば、「どうすれば不足分を補えるのか」ということを冷静に考えることではないだろうか。どこか別の場所から水を調達してくる、水源を探す、井戸を掘る、雨乞いをするなど、方法はいくつか考えられる。そしてその方法を吟味、検証し、実現可能にするための具体的かつ科学的な行動を起こす、ということだ。

そしてこの、ポジティブな思考と行動のために必要不可欠なのが、そもそも〝足りない〟あるいは〝大丈夫ではない〟といった、ネガティブなことに気づくための「ネガティブマインド」である。もし「ネガティブマインド」を発動させず、「半分もあるポジティブマインド」しか働かなかった場合、前出の通り選択肢はコップ半分の水一択となる。要は選択肢はない。もちろん、それで十分だった場合はそもそも何の問題もない。問題となるのは、もしそれでは足りなかった場合だ。

ポジティブな世界では、往々にしてネガティブの肩身が狭いというあるあるがあるが、ここで今一度よく考えてみてほしい。もちろん、もしそんな暇があるのなら、という前提で。

ポジティブシンキングって、本当にポジティブなの?ということを。ネガティブシンキングって、本当にネガティブなの?ということを。

ずっと昼だけで夜が来なかったら。
ずっと夜だけで昼が来なかったら。

どちらも結構、HEAVENというよりHELLなムードだ。

ついでに言っておくと、本物のネガティブマインドとは、足りないことに気づきながら結局は何もしない、つまり「ネガティブをキープし続けている状態」のことだろう。決して楽しくはなさそうだが、一定を保ち続けるというのもなかなか気合いが入っている。プロフェッショナルな心意気である。

しかも、そんなネガティブマスターは結構少なくない気がする。もしかしたら、在り方として最もナチュラルで、コストパフォーマンスがいいのかもしれないし、だからこそ、世界は今日も相変わらず回り続けているのかもしれない。

そんなわけで、コップに半分入った水の話をしてくる人と、水と壺をセットで買うとお得だよ!という話をしてくる人には、十分に気をつけよう。

そして、体温調節と水分補給はこまめにしよう!

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