そういえば



前回の投稿からほんの1週間くらいしか経っていないような気もするし、もうあれは前世の記憶だったのかなくらい時が経っているような気もする。このように人の感覚とは随分いい加減なもので、かつ時間は伸び縮みするとアルバートも言っている。

しかし現実には1年ちょっとくらいで、その間に世界は大きく変化した。昨年2020年に始まったパンデミックにより、世界中の人々が一斉に大なり小なり生活レベルで影響を受けるという、なかなかに大規模なイベントが起きた。

しかし、この地球規模のイベントは何も青天の霹靂的に起こったわけではなく、もう数年前から多くの識者や専門家たちはパンデミック来るぞ来るぞと警笛を鳴らしていた。 確かにこれだけ地球上の人口が増え、かつグローバリゼーションという名の下に人やモノが大量に移動する状況が続けば、同時にウイルスだって何だって移動するだろう。そもそも人類の歴史とは、人と人との戦いか、人とウイルスとの戦いか、ざっくり言うとこの2つを延々と繰り返しているようなものだ。

さらに昨今、気候変動によって、例えば今までは氷の中で静かに眠っていた未知のウイルスが溶け出して世界に放たれる、なんてことも起きているらしい。変化というのは、良くも悪くも未知との遭遇である。全ての可能性を把握してコントロールすることなど不可能だ。しかし、だからこそ変化に対応する力、すなわち「適応力」がより必要になってくる。

そんなわけでわたしは、ある意味不可避とも言える今のこの状況を静かに受け入れつつ、恒久的とまでは言わないまでも今後も継続的に、何なら波のように続いていくことを想定して日々の暮らしを調整しているところ。

しかし、改めて気づいたことには、わたし個人の生活はパンデミックBeforeAfterでほとんど何も変わっていない、という事実。そもそも、僻地や辺境が大好物のワイルドなひきこもりなので、感染予防対策がデフォルトのライフスタイルなのだ。だから、今のこの状況はわたしにとっては通常運転であり、苦ではなく楽。何ならとてもエンジョイしている。


どちらかと言えば、常に”Out of 世の中”であったはずのライフスタイルが、まさか世界的に推奨されることになるなんて。「まんざらでもない」というのが正直な感想である。生きていると色々あるものだ。

まあそんな感じで、我々人類の「価値観」や「日々の営み」なんて、目には見えないくらいちっちゃーいウイルスにすら、いとも簡単にやられてしまうほど〝脆弱である〟ということが露呈したわけで。逆に考えれば、このように常に不安定で不可避的な変化の中で未知との遭遇を繰り返し、それでも毎度サヴァイブしこれだけたくましく生き抜いてきた、なかなかのタフガイズということでもある。これまた、まんざらでもない。ということだろう。

ただ、生活自体は変わらずとも、季節の変わり目には人も猫も体調を崩しやすいように、基本的に変化というのは誰にとっても心身共にストレスがかかるもの。ことさらそれが急激かつ生活そのものが変わるとなると、かかるストレスもなかなかのもの。

ここで前述の「適応力」がポイントになってくるわけだが、がんばり屋さんの人間あるあるで、自分の適応力を過信しすぎてストレスをきちんと自覚できていない場合、「クレジットカード決済で買い物してたら知らないうちにマイルが貯まってた」みたいに、発散されないストレスが「自動的」にどんどん溜まっていく、ということになりかねない。

マイルが貯まれば旅に行けるが、ストレスが溜まってもあまりいいことはないだろう。なので、ストレスに関してはまず自動を手動に変えるような意識で、常に自分のストレスマイルを把握しつつ、できるだけ小さく細かく発散&調整していくのがいいと思う。小旅、デイトリップのススメである。

そのファーストステップは、まずは何と言っても、どんな変化であっても、基本的に生き物にとって変化はストレスである、ということを認めることから始まる。その上で、自分の身体の快、不快の声をしっかり聴くこと。聴いたらちゃんと応えてあげること。人の話に限らず、自分自身が発する声ですら「聴く」ということは、あながち簡単ではなかったりするものだから。

変化そのものには、いいもわるいもない。誰が決めたのかは知る由もないが、ただ変わり続ける、ということがあるだけだ。

たぶんそんなことを、大きな木の下で鹿や鳥や虫たちと気楽なシエスタライフを送っていたパンチパーマのあの人も言っていたような気がする。
気楽に行きましょう〜ね〜。

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