開運の術



出会い。それは人生において最も素晴らしいギフトの1つである。
恋愛に限らず、人生や仕事のパートナーであったり、友だち、メンター、仲間、あるいは夢中になれるモノやコトとの出会いなど、色々な出会いがある。

そしてきっと、人は誰もが心のどこかで、いつでも素敵な出会いを求めている。

今はコロナの影響で、移動も人との接触も制限されているため、以前のような出会い方はなかなか難しくなっている。しかしそもそも、パンデミックがあろうとなかろうと、ずっと心に残る出会いや人生を変えるような衝撃的な出会いというのは、とても貴重なもの。

それは、当然ながら出会いには必ず相手が必要で、自分の意思や都合だけで成立するものではないから。そこにはより、偶然性という要素が入ってくる。だからこそ、「運」という言葉がよく使われるのだろう。

自分の今までを振り返ってみても、そうした出会いというのは、狙いを定め狙った通りの何かと出会ったというより、ふとした出来事やタイミングでよくわからないけど「たまたま運よく」出会った、みたいなことがほとんどだ。

周りを見ていると、確かに「運」がある人とない人がいる。シンプルに、両者の大きな違いは〝魅力〟があるかどうかなのだが、その魅力には必ず共通していることがある。それは、「与える人」すなわち「GIVER」であるかないかである。

わたしが魅力的だな、素敵だなと思う人は、みな例外なく「GIVER」だ。そして、出会いに限らず「運」がある人というのも往々にして「GIVER」である。わたしが尊敬する友人の1人に、まぎれもない「GIVER」がいる。その人はまるで呼吸するようにいつも周りに何かを与えているが、やはり出会いはもちろん、人間関係、パートナーシップ、仕事やキャリアなど、人生全般においてかなりの「運」を持っている。

この場合の「GIVE」とは、物質的なものでも気持ち的なものでも何でもいい。ポイントは、相手が喜ぶか否かだけ。ただし、人が何に喜びを感じるかはそれぞれに違うので、こうすればよい、というような一定の法則などはない。その時々で、目の前にいる人を知り、理解しようと務めることしかない。だから、「GIVER」とは言い換えると、理解力とハートの感度が高い人と言える。

「運」がない人というのは、往々にしてこの「GIVE」の部分が欠けている気がする。理解力とハートの欠如。だから、出し惜しみをしたり、自分以外に求めるばかりで、自分が他者に何を与えることができるのか、という視点がお留守になっていることが多い。

あるいは、自分は何かしらを与えてるつもりでいても、目の前にいる「その人」には何も響いていない可能性もある。そういう人は、状況も、相手のことも、もしかしたら自分のことすらよく理解していないのかもしれない。

ものごとを深く理解する力というのは、じっくりと時間をかけて丁寧に考えたり観察したりする訓練が必要なので、筋肉と同じく一朝一夕ではなかなかつくものではない。それでも、意識して理解を深めようとすればするほど、必ず理解力は育っていく。

ほいほいと気軽に人と会ったり、出かけたりできない今だからこそ、こういう形の「出会い運UP」も試してみるといいかもしれない。なんなら、他の運だってUPすること請け合いである。

しかも、理解力が上がると、世界に楽しいことやおもしろいことがどんどん増える。ハートも育つ。一石二鳥どころではない。これをラッキーと呼ばず何と呼ぼう。与えて開運。これ極意。

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