宇宙はテキトー



冬至を経て、もう今年も残すところ、あと数時間。
ここは、”あと◯日”と書きたかったところだが、いつの間にやら24時間切っているようだ。

年を取ると時間の流れが早く感じるというが、子どもの頃の夏休み最終日のそれと、この年の瀬感。やっぱりあまり変わらないのは、きっとわたしだけではないだろう。

大丈夫。あなたは独りではない。

ところで、冬至は1年の内で最も陰が極まる日。別名「一陽来復」とも言われ、文字通り陰が転じて陽になるという、なんとも縁起のいい日でもある。確かに最近ささやかながら、また陽が長くなりつつあるのを感じている。

たとえ暦が変わっても、万事オーライとはならなくとも、陽気モードのスイッチがONになるのが自然の摂理。暦って本当によくできてるなあと思う。

月のリズムや太陽のリズム。地球と地球外の惑星たちのリズム&ハーモニー。海のそばで暮らしていると、太陽暦より太陰太陽暦、つまりは月の暦の方を使うことが多い。月のリズムで惑星の動きや潮の満ち引きなんかを見ていると、暦は本当に宇宙の歌の譜面なんだなと思う。一体誰が書いたのか。

そんなことを思うだに、暦1つとっても、日常的に「極々ふつう」のこととして存在しているものすら、その起源を辿ると実はよくわからないこと、知らないことは多々ある。

今では概ね世界共通でグレゴリオ暦が採用されているけれど、それが日本に導入されたのは明治初期の頃。その前は太陰太陽暦が長く使われていて、もっと以前は自然現象に合わせた「自然暦」だったらしい。

時代が変われば、暦も変わる。暦が変われば時間軸が変わる。しかも、その変化の理由はなんと、人間社会での都合、つまりは辻褄合わせだったらしい。自然や宇宙の法則、ある意味この世界において絶対的な意味を持つ「時間」ですら、”これ、ちょっと、あれだから”的な理由で変わるだなんてね。

案外、人間ってチョーテキトーなのかもしれない。

でももっと言うと、伸縮自在に伸びたり縮んだり、猪突猛進したかと思えば歪んでみたりする、宇宙そのものがそもそも「TEKITOU」ということなのかもしれない。ウチナーグチで言うところのテーゲー。つまりは、よくわかんないってことだろう。

宇宙の謎を解くような天才が言い出すことというのは、往往にして突拍子もないことのように思われがちだが、意外とこのように、計り知れない宇宙に対して「わからないってことがわかったよ!」という、「至極真っ当」なことを言っているだけかもしれないとも思う。

いつにも増して、パラドックス具合が加速しているのは、冬至のせいか、師走のせいか。年末の醍醐味はやっぱりこのカオス感だよね! そう。これぞ、まとまらないものを無理やりまとめるの秘儀、すなわち「テキトーの術」。

年々、年越しを迎えるごとに磨きがかかっているこのスキル。何か1つでも上達していることがあれば、今年もなかなか有意義な年だったと言えるだろう。年を重ねるのも悪くないものだ。

ところで。西洋占星術の世界では、今年(か去年?)は「風の時代」の始まりと言われているようだ。200年だか2000年だか20000年だかの星の周期によるもので、それ以前は「土の時代」だったらしい。全く詳しくないので、かなりアバウトな情報だけど。

前出の通り、我々人類は星を読んで、星のリズムに合わせて暦を作り、暮らしてきた。海図やコンパスがなかった時代、パイセンたちは星を頼りにあのだだっ広い海を航海し、世界を広げ、つなげてきたのだ。特に星空や占いが好きなロマンチストではなくとも、そもそも我々には超人的なロマンテックDNAが刻み込まれている。このように、星の動きと人間の暮らしは歴史レベルで、日常レベルで、そしてDNAレベルで切っても切れない関係にあるのだろう。

土から風へ。
大地を踏みしめ、あるいは耕し、根を張り育んでいくという「お堅い」ヴァイブスから、見えも触れもしないがどこへでもという「自由」ヴァイブスへ。季節が変わるように、時代も変わっていく。 諸行無常という言葉もあるように、変化すること自体にはいいも悪いもない。ただ、季節のように天気のように、変わっていくだけ。

そんなわけでやって来た新しい時代。風は「自由」の象徴。なんとも軽く、爽やかな響きがする。どうやらこれは、名実ともに、宇宙の法則「テキトーの時代」の到来らしい。

テキトー&フリーダム。
実に喜ばしい時代がやって来た。
夏休み最後の日だって年の瀬だって、これからは、堂々とさわやかに軽やかに「風の時代ですから」スマイルを繰り出そう。

じゃ、来年もゆたしくねー!(風とともに)

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