ワイルドはリッチ


南の島で海の家とかやりながら、海だの森だの焚き火だのと。そんな原始な暮らしをしながら、さらに紙や麻布に絵の具や木炭で絵を描いたりもする。木炭なんて鉛筆ですらない、木の燃えかすだ。

それでも、さすがに携帯くらいは持っている。
もちろん、ボタン付きの折りたためるタイプ、ガラパゴスモデルだ。

しかし、そんなわたしにとって「自然回帰」という言葉はファンシーではない。なんとなく、「回帰」という言葉には、ちょっと後ろ向きなニュアンスを感じてしまう。同じ系列で「物質的に満たされたら精神的に貧しくなった」とか、「テクノロジーが人間をダメにした」などもある。

確かにそれは一理あるかもしれない。
でもわたしは別に、自然に還っているつもりもないし、近代文明やテクノロジーを否定しているわけでもない。むしろ、こういった”秘境ライフ”だからこそ、テクノロジーの恩恵は十二分に感じていると言っていい。このサイトやブログ然り、買い物然り。冷蔵庫やクーラーやお掃除ロボットだって、この快適な秘境ライフを支えてくれているのは、やはり文明のおかげさま。

さらに言えば、今よりもっとテクノロジーが進化して、あらゆる製品がよりサステイナブルなものへと移行し、社会がAI化し、環境を守りつつ人々の暮らしがもっと便利に自由になったらいいなと願っている。なんなら早いとこ、1人1台AI時代にでもなったらいいなと願っている。

わたしがこの暮らし方を選んでいるのは、自然回帰でもなく、文明の否定でもなく、ただシンプルに、自然のある暮らしはとても楽しいから。


ところで昨今、シリコンバレーの富裕層の間では、子供の教育は〝テックフリー〟が主流になっているらしい。アナログ&ワイルド、つまり昔の青空学校的なプログラムを盛んに取り入れている学校へ通わせていると。

かのスティーブ・ジョブズは自分の子供にはiPadを触らせなかったなどというのもとても有名なエピソードだが、現代テクノロジー界の最先端にいて、いわばこの世界をデザインしている人たちが、デジタル世代の自分の子供たちにはデジタルなものを与えず、代わりに石ころや葉っぱや泥んこ遊び、木製のおもちゃをを与え、絵や字を描くのは紙と鉛筆といった、オーソドックス&オールドスクール的な教育にシフトしているという記事もあった。

それは当然といえば当然の話で。デジタルなスクリーンとアナログなライブ(生)はまずその情報量が全然違う。デジタルだとほとんど視覚と聴覚だけしか使わないけれど、アナログは視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚といった五感全部を使う。当然、脳に与える刺激も全く違ってくる。

にも関わらず、これだけ急速にテクノロジーが発展し、多くの人がそこにある種の”万能感”を感じているのは、やはり利便性とスピード、要は「快楽」がそこにあるからだろう。

わたしたちに与えられた時間には限りがあるし、あらゆる競争は数と速さを競うもので、(今のところ)逆はない。だから、アナログからデジタルへの進化というのは、あらゆる意味で人類にとってナチュラルなんだと思う。ただやっぱりそれは、万能とは違う。

アナログもデジタルも、秘境暮らしも都市暮らしも、どちらにもメリット、デメリットがあるし、向き不向きもあるだろう。どちらがいい悪いなんてことではなく、どこでどんな暮らしをしていても、やっぱりバランス、そして、生き物には生き物が必要なんだと思う。

テクノロジーの力にどっぷりと依存し、利便性もスピードも当たり前の現代だからこそ、その”当たり前”に感謝しつつ、たまには逆に、あえて「不便&スローな時間」を過ごすこと。これぞ現代の豊かさと言えるのかもしれない。

ワイルドネスはリッチネス。
巡り巡って、秘境ライフこそ最先端。(これを言いたかっただけw)
みなさんもぜひ、レッツジョイナス!

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