失敗、挫折、困難、問題など。
それぞれにニュアンスは違ってくるけど、つまりは人生における”付け合わせ”。人参のグラッセとか、マッシュドポテトとか、紅しょうがとか、大根おろしとか。メインの味や彩を引き立てるための、なくてはならない粋な存在。
そう。プロブレムは、ガルニチュール。
生きていると様々なことがある。嬉しいことも楽しいことも、悲しいことも苦しいことも。例えどんなに気をつけていたとしても、どれだけ賢くなったとしても、プロブレムがないなんてことはあり得ない。
そんなものは、紅しょうががのっていない沖縄そば、サーターアンダギーを勧めてこないおばあ、シーサーのいない沖縄のようなもの。ザッツ ナンセンス。
失敗した時、問題が起きた時、困難の最中にいる時は、当然辛い。悲しかったり、くやしかったり、情けなかったり、とにかく苦しみの洗濯機の中でグルグル回っているような感じにもなる。
でも、その体験があるからこそ、「問い」が生まれる。
「なぜ?どうして?」
「これは何?」
「どうすればいいんだろう?」
「ワタシはだれ?」
「ここはどこ?」
失敗によって生まれる、自分に対して投げかけられた問い。この問いに応えること。起きた問題について、自分で考えて、自分で答えを出すこと。言ってみれば、生きることって、このプロセスの繰り返しみたいなものかもしれない。
問いに応えながら、自分が本当に望むことややりたいこと、行きたい方向などが見つかったりもする。人生を変える、生き方を変える、大きな転機になることもある。
だから、失敗や困難は決してわるいことでも、起きないように祈ることでもなく、むしろあって当たり前。沖縄そばには紅しょうが的なアティチュードがちょうどいい。
そして、紅しょうがが「問い」なら、そばは「答え」。自分で考えて導き出したアンサーこそが、メインディッシュと言える。
「失敗は成功の母」などというけれど、わたしからするとそれは、親子というより、もっと対等な”コラボレーション”のような関係に近い。失敗も成功も、言わば対等に、お互いにお互いの旨味や深みを増すために絶妙かつ貴重な働きをしている。
とはいえ、あくまで紅しょうがはサイド(問題)であり、メイン(答え)は、そば。というのが大切なポイント。しかし、うまくいかない問題が起こった時、困難の中にいる時は、往々にして「紅しょうががメインのそばがサイド」になっていることが多い。
ちょっとその画を想像して見て欲しい。そっと箸を置きたくなること請け合い画像。少なくとも、よっぽどの紅しょうが好きでなければ、食欲はそそられるよりも、削がれるだろう。
「食べる気しない(解決できない)」
そんなわけで、問題解決のためには、まずこのバランスを見直すといいと思う。問題そのものに大きくフォーカスするのではなく、「紅しょうが(問題)はサイドであり、そば(答え)こそがメイン」だということを思い出そう。
かつて、アルベルトも言っていた。「どんな問題も、それを作り出した時の意識レベルでは解決できない」と。
一つ一つの食材の味。
そして、その全部を含めたバランス&ハーモニー。
すべては美味しいそばのために。
そばも人生も、味わいながら、アチコーコーでいただきましょうね〜。
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