愛を捨てる



何かを変えたい時、変化を起こしたい時には、「ストップ、チェンジ、スタート」というゴールデンステップがある。家を作る時だって、まず土地を慣らし、基礎を打つところから始める。いきなり屋根は作れない。物事には順序というものがあるのだ。

まず、何かを止める。
そうすると、何かが変わる。
そこで、新しい何かを始める。

とっても基本的なエネルギーの法則。この法則に沿って丁寧にステップを踏むと、小さな変化であっても大きな変化であってもたいていの場合はうまくいく。むしろうまくいく変化というのはほとんどの場合必ず、この法則が働いていると言っていい。

逆にうまくいかない、変化が起きない場合、このステップの順番がチグハグになっている可能性が高い。

だからまず、何かを変えたいと思ったら何かを「やめる」。このファーストステップさえホップしてしまえば、その次に来るステップ&ジャンプはもうオートマティックそうなるくらい楽に変化は起きて来る。

しかし何事も、言うは易し行うは難し。わかっちゃいるけどやめられないのが人の性というもの。実際のところ、新しいことを始めるよりも、「やめる」という行為の方が難しいのだ。

「やめる」というのは、言い換えれば”持っていた何かを捨てる”ということ。いわば人生の”本気の”断捨離。今まで生活の一部だったものや、特に意識するまでもなくそこにあったもの、あるいは、存在すら認識していなかったが、クローゼットの中の半分はそいつで占めていた、などという隠れ家主のような何かもあるかもしれない。

物質的なエネルギーに換算するとわかりやすいが、「やめる」という行為はこのように「トラックうん台分のモノを捨てる」という行為に等しい。いくら片付けをすれば人生がトキメクとわかってはいても、そう簡単なことではない。

物理的に大量のモノを分別して移動する手間はもちろんのこと、何よりその”捨てるモノ”は、「愛のかけら」だから。何年も大切に使ってきたものから、よく見るとただのゴミといったものまで色々なモノがあるだろう。しかし、どんなモノでもそれは1つ1つ、自分と何かしらの縁があってそこにあるのだ。もっと言えば、たとえそれがゴミの山だったとしても、それはあなたの生きてきた証なのだ。

しかしここで、愛の劇場スタンディングオベーションと共に感動のカーテンコール、調子に乗ってアンコールとなってしまっては、カーテンの向こうは永遠にゴミの山である。やはり新たな展開、新しいストーリーを求めるのであれば、舞台演出をごっそり変える必要があるだろう。

「愛を捨てる」なんて、なかなかインパクトのある言葉だけど、結構本当だと思う。天使が眩い光を放ちながら両手を広げているような画と共に、「恐れを手放して愛を招き入れましょう」的な文言を見かけることがあるが、わたしとしては、あれはどちらかと言うと逆ではないかと思っている。

愛は「知っているもの」に抱く感情で、恐れは「知らないもの」に抱く感情。すなわち愛は「結果」であり「過去」と言えるし、恐れは「未知」であり「未来」と言える。そして変化とは、過去(結果)を手放し、未来(未知)を招き入れる、ということだから。正確には「愛を手放し、恐れを迎え入れる」になるのではないだろうか。

とは言え別に、天使は断捨離について語っている訳ではないのかもしれない。ただ、個人的にわたしはその類の天使とはあまり仲良くなれる気がしない。そもそも眩しすぎて会話に集中できる気がしない。まあ特に心配しなくても、天使も特にわたしに用はないだろう。

例のごとく、今回も話が家づくりから天使にたどり着いてしまったが、とにかく、変化を起こしたい時こそまずは、新しいことを始めるより、何かを「やめてみる」&「捨ててみる」。すると、案外うまく行くかもしれない。

0 Comments